会社で時間を持て余す。

ちょっと、賛否両論あるかもしれないことを書こうと思う。

仕事を早く終えてしまうので、職場で退屈している日がおおい。
就業時間いっぱいまでは、することがない。だいたいいつも、「やれやれ、残りの時間何しようかな」と早い時間帯に思い始めて、なんとなく時間を潰して定時が来るの待ってる。
  
職場で干されている訳ではない。同僚は私と同じ量やそれより少ない仕事を、残業までして仕上げている。上司もこれ以上の仕事を私にくれる気はないようだ。
    
たぶん、今の自分のポジションに対して、能力のほうが上回ってしまっているんだと思う。ナメてる訳ではないし、やることなんて探せばいくらでもあるだろうという意見があるのも知っている。けれど、自分より上のポジションはすでに埋まってて、仕事が出来ても昇進する隙間が無いという状況は、忙しい世の中とはいえ、社会の至るところでいつでも起こっていることなんじゃないかな。いわゆる、企業で順番待ちをしている状態。
   
仕事に対して物足りない思いをしながら、さぼってるように見せないように、周りに常に気を配ってバランスをとり、そして好きじゃない仕事を我慢してまでやって出世することが、私に向いていると思えない。退屈に感じてしまうのだ。自分の自由意思を売って、人間砂漠を進む。定年する30年も先まで。なんかもう、荒涼としすぎていてため息しかでなさそうだ。その道しかなかった父親世代の男性たちには、本当に頭が下がる。
   
私はきっと、この先30年も会社勤めすることに耐えられないだろう。会社のために四六時中気を配ることもできないし、ばれないように手抜きする器用さもないし、バカだって言われたとしても、会社員をやめて勝手な道を歩んだほうがずっとマシなのかもしれないと時々思う。
   
  
理系の職種で会社員になれば、特に仕事に対して自由がないのかもしれない。業界によるとも思うけど。私がずっと勤めてきたメーカーでは、社員に研究や新製品のアイデアを出させて、企画が通れば予算をつけて実行させてくれるような、本当にクリエイティブな職場もあった。今思えば、それは一般企業としては例外的に面白い仕事だったのだと思う。
そこにいた時は、しがらみとか、成果が出ないやつは徹夜してでもやれといったブラックさが嫌だったりもしたけど。
    
   
それ以外で、理系が就けるような職種は、生産でも、品質でも、技術営業でも、たとえ開発と名がついたとでも、オペレーション色がとても強い。
大きなプロジェクトを動かすための、自分に割り当てられたピースを、決められた通りに動かす仕事だ。ほんの小さなピースを動かすだけのことにも、裁量が無いことは往々にある。それはマニュアルどおりに、淡々とこなさなければならないという形もあるし、裁量があるかに見えて心配性の上司が口うるさいという形もあるし、いちいち色々な人におうかがいを立てないと何も進められないという形のこともある。ピースをコントロールする権利を得た一部の人たちに、偉そうな顔をされながら。
  
  
1人で出来ることは限られている。多くの人で大きな仕事を成し遂げるなら、めいめい思い通りに動かれても統制が取れないから「割り当てられたピースを、決められたとおりに」成し遂げるのはとても合理的なこと。そこに加われること幸せと感じられる感性を私は尊敬するし、そうでない自分は非協調的で、エゴイスティックだと思う。ずっと、そう思おうと自分に暗示をかけてきた。でも、楽しいと思えない自分がいることから目を背け続けることはできなくなった。
  
   
仕事は毎日早く終わるけれども、勤務は決められた時間しないといけない。仕事が早く終わって、浮いた時間がとてももったいない。どうやって過ごすか。
地味だけど、調べ物をして知識をつける。油を売って人脈を増やす。フレックス、テレワーク、裁量労働、そういった制度をうまく使って、会社を抜けて人と会う。特に在宅勤務していると、上司の目が無い分、自分の知識を増やすことに専念しやすい。仕事しているフリしなくて良いから。
 
起業したり、突然違う肩書で活動しだす勇気もない。でも、ポイントを分岐した線路が全く違う方向にいくように、ちょっとずつ踏み出して行く。