不安を減らす(3)「人は人」と思えるように

不安を抱えたまま生きていると、毎日どっと疲れる。
いつもいつも、疑心暗鬼。

「今、私が言ったことであの人は不快になったかしら」

そういったことばかり考えて、人の言動を気にして、何か悪いことが起こるのではないか、そういうことばかり気にして過ごす一日は、どっと疲れる。私が恐れる「悪いこと」、そのほとんどは、人を怒らせてしまわないかということなんだけど。

「人は人、自分は自分」と割り切って考えるとよい、とよく言われる。人の気持ちはその人に責任がある。気を付けていても、怒る人は起こるし、同じことを言っても全く意に介さない人もいる。

だから、心配しすぎても意味が無い、と。

けれど、今までと違う「考え方」を身に着けるのは、難しい。
「考え方」は、知らない間に自分の中で息をしているからだ。雑音とか、BGMとか。常に耳に入っている音は、いつの間にか聞こえていることを忘れてしまう。毎日前を通る近所の家、どんな色の塀で、庭だったかいつの間にか気にも止めなくなった。

そんな風に、自分の根っこの方にある考え方は、変えにくい。
いくら、頭のなかで「人は人」と100回繰り返してつぶやいたとしても、人を恐れてソワソワする気持ちは頭から離れない。

でも、この何日か、そういう気持ちがピタッと止まった。
土日、海外の映画を何本か見た。主人公はだいたい、自分勝手な女性。
面と向かって批判されても、ちゃんと言い返せる。人の目が気になって、弱気になって、自己主張せずにあいまいに黙りこんだりなんかしない。

何本も見ているうちに、彼女らが自分の人格に感化されたのか、不思議なんだけど「人は人」と割り切る気持ちがでてきた。
頭の中をいつもいつも、駆け巡ってる嫌な考えがグンと減った。
夕方から夜に感じる疲れが減った。

人と自分の境目があいまいになっていることは、心が苦しい思いをすることがおおい。人の目が気になって仕方ない、という負の面もあるけど、実は別の人の考えや振る舞いを、自分の中にコピーしやすい技術と隣り合わせなのかもしれない。健全なことかどうかは分からないけど。

「人は人」と割り切れない自分を逆手にとってみる。「自分は人」になってみる。
いつまでうまく行くか分からないけど、この方法も覚えておこう。