日本企業と外資企業で働いてみて・考え方の違い【個人主義・合理主義】

例えば、自分の所属する部門で解決しなければならない問題が生じたときに、
 
「関連するB部の要請を考慮したX案」
「B部の利益には反するが、自部の利益を最大化するY案」
  
どちらの案を取りますか?
日本の企業にいた私は、X案をまず実現するよう考えるか、Y案を採用するメリットが大きいのであれば、B部や共通の上司を交えて折衝してY案を実現する、という風に持っていこうと考えます。
 
しかし今働いているの外資系の職場では、こういった場面では当然のように、B部とあまり相談せずにY案が選ばれます。「勝手に決めて、B部との関係が悪化しないのか?」と同僚に質問したところ、「自分達の問題なので、自分達で決めた。B部に不利益はないことは確認した。だから、何も問題ない」とあっさりと答えられ、とても驚きました。
以前いた内資企業ならば「なぜ、勝ってに決めた」とB部の人が怒って飛んで来るのが簡単に想像できる。「会社は皆のもの。自分たちさえ良ければいいのか」という義憤すら抱きましたが、あながちそうでも無いと、今は思っています。
 

外資系企業は、専門家の集まりだ

数年、外資系企業に勤めてみて分かってきたのは、「その分野のことはその専門家に采配任せて、文句は言わない」という文化が徹底していることでした。交通整理はお巡りさんや工事現場の人に任せる。いつもの道を突然「迂回して」と言われたら、多少の不利益は被るけれど、戦わず、従います。会社の中で起こっていることはもっと近い出来事ですが、そういう感覚に近いのかと思って眺めています。
もちろん何をどの程度、専門家にお任せするのかは、その業界がどれくらい専門化が進んでいるかにもよると思いますが。
  
一方、私は日本企業に、新卒で入社して30過ぎまで在籍しましたが、その日本企業ではそこまで分化した専門性を嫌うように思えました。自分の持ち場のことばかりにこだわっていないで、相手の、もしくは全体の目線に立って助け合ってくれないと。間に落ちたボールは誰かがカバーしなければならない。その責任は組織をマネジメントする側だけにあるのでなく、それぞれの現場も考えて動くべき、という空気を、内資の会社にいた時は特に強く感じました。また実際、社内の色々な視点を学ぶため、定期的なローテーションで部門を移動する人がかなりの割合でいました。
   
一長一短はありますが、勝手に決めないかわりに、だれも決定を任せられるほどの専門家でない。日本企業についてはそういう見方もできるということを、外資企業に勤めてみて気が付きました。
 

外資系のはずなのに、感じる違和感

西洋人の考え方として、「背景と個別のことを切り離して考えることができる」ということをよく聞きます。上で書いた、ほかの部門のことを考慮せずに自分達のことは、自分達で決める、というのもその現れな気がします(この点は、検証が必要ですが)
しかし一方で、このように部門間のことに対しては、しがらみに取られず独立して考えることができるのに、自分の守備範囲の事象については、論理的・体系的に物事を解釈することが不得意かもしれないと感じています。 
起きている問題をシンプルなモデルに落とし込み、問題の在りかや根本原因を正しく理解し、解決するといったことが、日本企業で働いた同僚たちとくらべて、できない人が多いようです。外資企業では「この時はああで、次の時はこうで・・・」といった風に、物事の枝葉ごと全て記憶してしまうような人に多く出会いました。そしてそれは、西洋合理的な考え方とは、とてもかけ離れたもののように思いました。もちろん、それが良い・悪いの議論は脇に置いて。
 
  
これらのことから、「日本における外資系」というところを、私なりに捉えてみると、専門家の集団という面では、うまく西洋型の組織の在り方を実現できていて、それが、決断の速さを生み出している。けれども、その中で働いている人は、もしかすると内資系の企業よりも合理的でないかもしれない。

と思っています。
会社の方針を決めるのは、外国の本社であり、「現場のリーダーシップ」しか必要ありません。「自分達の会社は何を価値とするのか」「起こっている問題は我々に何を投げかけているか」といった高い次元で思考する習慣がない、ということが、考える習慣がない一つの原因だと考えています。
   
思考すると、必ず西洋的な考えになるということでは無いでしょう。けれども、様々な学問が西洋を起源としています。だから現代の地球上では、思考することは論理的・構造的に物事を捉えることにたどり着く人が多いと思っています。
日本人が非論理的だと言っている訳ではありません。日本人の科学者・数学者で著名な方が多くいることからもそうでないのは明白です。しかし、会社のような複雑な世界で、それでもシンプルな論理的モデルに基づいて物を考えるかというと、そこには日本人を含む東洋人と西洋人には、考え方に違いが生まれるように思います。  
  
日本の企業では、自分たちで継続的に製品やサービスを生み出し、作り、利益を出さなければいけないことから、論理的・体系的に考えることを高度に訓練された社員がいることでしょう。私の体験した企業にもそういう人達がいましたし、他の日本の会社もおそらくそのようになっていると思います。しかし、多くの外資系日本企業は、実務を遂行することに特化しており、高度に思考することを訓練された社員は少ないことでしょう。
  
西洋型の組織に、専門性に特化していて、日本企業よりも非合理的な面のある人々がいる。それが、日本企業出身の私がみた、いまのところの外資系です。とすれば、日本企業でなく外資系に勤めることで、私は会社に何を提供するのか、何を会社から得るのか、ということについて次の記事では考えてみたいと思います。