葛飾区 立石緑地公園

数十年も時間が止まったような飲み屋街。立ち飲み居酒屋、B級グルメ店の数々。子連れじゃなかったら、すぐにも一杯始めたい商店街。
 
葛飾区立石。ググると「下町の首都」という表現も見られます。東京の下町、というと浅草や谷中あたりを思い浮かべますが、この立石は観光地化していない、ナチュラルな姿が残っていて驚きました。
  

  
(訪れた日はあいにく日曜日で、お休みしているお店が多かったです) 
   
駅前の存在感ある佇まいのお総菜やさんでコロッケを食べたあと、商店街を抜けて立石緑地公園という大きな公園に遊びにいきました。広い緑地。ボール遊びの家族でにぎわっています。この公園は中川のすぐほとりにあります。
  
  

公園の周りは住宅地。東京近辺の、どこにでもある住宅街のように見えます。川の対岸は、食品会社の工場です。川の流れが速く、海が満潮のせいか、水位は高く見える。川を挟んでいるとはいえ、工場と住宅街が隣接しているのは、珍しい感じがします。
こんなに広い公園を、この場所に作れたとは、ここももともと工場があった場所なのだろうか。
  
 
現代の立石の歴史を、簡単に。水運の便が良いことから、工場が進出する地域となったとのこと。駅前の商店街も、この辺りの工場で働く人たちで、にぎわったことでしょう。
  

大正中期以降、中川沿岸の一部(亀有・新宿・青砥・立石・四つ木)地域には、近代工業の先駆となる多くの大正工場が進出し始めた。都心に近く河川による水運の便が良いこと、土地の価格が低廉であったことが工業地化の誘因となったのである。更に第2次世界大戦の勃発により工業方面は著しく発達し、会社工場の建設は急激に増加した。戦争の苛烈に伴う学童疎開、物資の配給制度、B29による空襲、区役所の焼失、など戦争の影響は大きく、戦後の日本経済の復興は非常に困難な状況であったにもかかわらず、葛飾区においてその被害は他区に比較して少なく、この時期にも都心部から多くのり災民が流入した。このような傾向はかつての農村地帯の面影を一掃し、商工業地帯・住宅地帯として、葛飾区は活気のある新興商工業地帯へと発展していった。
出典 http://www.waseda.jp/sem-muranolt01/Survey2002/ch5.pdf