台東区東上野 西町公園

家族連れやゲートボール、仕事の休み時間の休憩に。町中にしては広々とした台東区上野の西町公園です。
 

  
「西町」という地名は現在の住所には存在しません。過去の地名のようで、旧西町の歴史を書いた看板が、公園の入り口横にありました。
 
 
 
ここ東上野2丁目あたりは、江戸時代から西町と呼ばれており、柳川藩(福岡県)立花藩邸と、下谷辻番屋敷、そして大番組屋敷があったそう。
「大番(組)」とは馴染みがない言葉ですが、江戸城やその他、江戸の要所の警護にあたる旗本のお侍さんたちのことを大番と言ったそうで、この辺りはその詰所があったのでしょうね。
 
「大番」Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%95%AA
 

明治時代

 
goo地図
https://map.goo.ne.jp/map/search/latlon/E139.46.58.552N35.42.21.818/zoom/11/?order=1&qo=%E6%9D%B1%E4%B8%8A%E9%87%8E
 
上部のタブ「古地図」より「明治」を選ぶと、明治時代の地図が表示されます。
明治時代の地図上では、この辺りに「龍城学校」とあり、現在の公園の真ん中あたりを川が流れていたようです。少し南に「西町女学校」そして東に「東京府第一高等女子学校(今の都立白鴎高等学校?)」があったようです。龍城学校がどんな学校だったのかは分かりませんが、学校の多い地域だったようですね。
  

昭和頃~小学校の名残り

さて、現代の西町公園に話を戻します。
公園の花壇の中にある、校歌を刻んだ石碑や、礎に「友情」と刻まれた子どもの像。
この場所には、小学校が有ったのでしょうか。
  

 

 
校歌には「かすむ筑波の紫」や「しろたえはゆる雪の冨士」が登場します、以前はこの辺りから見えたのかもしれません。
  
 
ところで、台東区の報告書によると、昭和35年に年少人口(14 歳以下)は60,880人、平成22年には15,067人と約4分の1に減少しているようです。正確なところはわからず、推測ですがここ上野でも子供の人口が減り、廃校となった小学校もいくつかあったのかも知れません。
  
台東区人口ビジョン(素案) 概要版 平成27年9月