おかず横丁~銅板建築を訪ねる

『おかず横丁は、東京都台東区鳥越1丁目の鳥越本通りにある商店街の通称である。おかず通りともいう。長さは230メートルほど。 周辺は第二次世界大戦以前から家内制手工業が集積する軽工業の町である』Wikipediaより

 
 
路地に出した長椅子で、町の人が夕涼みしている-そんな風景が今でも見られそうな町でした。
 

 
くしくも祝日に訪れたので、閉めているお店が多かったのですが、懐かしい賑いがある商店街、そういう風情がありました。この辺りは戦前から町工場が多く、共働きのお母さんたちが晩御飯の買い物に利用したお店が多いから「おかず横丁」と呼ばれるようになったそうです。
  
  

 
 
この一帯を歩いていると、建物の前面に、銅板を貼り付けた意匠の店構えが多いです。写真右のお店も、看板の上あたりの壁が緑のような色をしておりますが、これが、銅の板を建物の表面に張って、表面が錆びた時に呼ばれる緑青で、江戸時代~戦前にかけて用いられた工法です。
この銅板、色々な文様やデザインが施されていると聞きます。現存する銅板建築の写真を集められているホームページを見つけました。珍しい建築を沢山みられるのは、とてもありがたいです。

http://mir.biz/arch/
  
 
余談ですが、京都は、古い建物が多く残っている都市ではありますが、この銅板建築はほとんど見かけなかったように思います。今でこそ、銅板建築の緑青の色合いが渋い風情を出しておりますが、出来たばかりの数十~百年前の銅板建築は、色も明るく、外観も雰囲気も今とは違っていたことでしょう。当時の風貌は想像することしかできませんが、江戸の人の好みに、より合っていたのかも知れないと推測します。
  
さて銅板建築とは、どこで聞いたか、戦前までに流行ったものと思っていました。とすると台東区は、東京大空襲で激しく被害にあったと聞きます。銅板建築が多く残っている、ということは、この辺りは空襲の被害には合わなかったのでしょうか。
 
東京大空襲で被害を受けた地域の地図を、図書館で見ることが出来ました。
その地図によると上野~浅草や墨田川の東側は、ほぼくまなく被害を受けたようですが、御徒町駅の東側に、100m 四方くらいでしょうか、被害を受けなかった地域があるようです。goo!で公開されている昭和22年の航空地図でも分ります。
特定することはできませんが、もしかするとこれらの銅板建築は、東京大空襲を生き延びた建物たちなのかもしれません。古い物好きとしては、自分の目で見られることを嬉しく思います。

話題がそれてしまいました。
さて、休日の静かな商店街の和菓子屋さんの軒先で、子供とかき氷を食べました。細かくてふわふわの氷。普段、あわただしく過ごしているのと同じ東京とは思えない、のどかな時間です。お饅頭も買ったら、お店の人に尋ねられたので「これも店先で食べて行く」と告げると、お店の人がお饅頭を小さなお盆に載せてくれました。親切に感謝します。