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育児休暇から復帰して、職場での役割が変わった
比較的若く、社会人になってから数年で出産したためか、育児休暇から戻ってきた段階で、私は後輩の指導経験はほとんどありませんでした。しかし、育児休暇から戻ってくると、「(私が短時間しか働けない分)他の部員と実務を分担して進めてほしい」と、後輩2,3人を指揮してプロジェクトを進めるよう上司にいわれました。
しかし、後輩の指導経験が当時ほとんどなかったこと、自分も担当の仕事を抱え、そして子供のお迎えのため早く帰宅してしまい、後輩とコミュニケーションを取る時間が取れないこと。前の記事でも書きましたが、ブラック気味の上司からの厳しく多すぎる要求。
私は後輩たちと上手く信頼関係を築くことはできませんでした。
コミュニケーションはうまく行かず、仕事も失敗続き。ストレスの大きい職場。
後輩の中には、面と向かって侮蔑的な態度をとる人もいました。
上司の言葉で気付いたこと
上司からは責め立てられ、「私のせいでプロジェクト全体が遅れている」「どれだけ甘く見てやったら気が済むんだ」と嫌みを言われました。
休み明けで思うように動かない頭と体。家に帰っても0歳児を抱えて休めない。
上司との関係は悪化し、面談の際に私の仕事上のミスを挙げられ「こんな失敗をした奴は、今後、どれだけ努力しても認めるつもりはない」と言われました。
私が職場の中心的存在だったのは過去の話で、今や後輩からも上司からもはっきりと疎まれていることに気づき来ました。
周りからは孤立、仕事もうまくいかず、会社では何一つ良いことことが無い。精神状態はどん底でした。
腹痛で明け方に目を覚ますこともありました。
ここで働いて行くことは、精神的にも肉体的にも厳しいだろうと思いました。
そして異動を決意
職場でこのような状況に追い込まれていることから、家で子どもといる時でも気分がふさぎがちで、子どもに申し訳なく思っていました。
そして、子供の幼少期をストレス少なく過ごしたいという思いから、部署移動を希望することにしました。
とても気に入っていた仕事だったので、部署移動の希望を出すことは葛藤がありました。子どもがいなければ、時間と体力に任せて、残業してでも挽回できたでしょう。
しかし、子どもが小さい時期は一度きり。時間は戻らない。毎日疲れきってイライラした母親と過ごすのでは、この小さい子どもが可哀想。
そう思って好きな仕事を手放すことにしました。
あの時を振り返って
今思い返すと、育児休暇から復帰することをとても甘く見ていたと思います。何とかなるだろう、と。
けれど、何とかなりませんでした。もっと実力があれば周りをまとめ上げて、上手くやれていたのかもしれませんが、当時の私にはできませんでした。
好きな仕事を手放すことは悔しかったけど、もともと過酷な環境の職場でしたし、女性の数も少なく、母親にとって働きやすいとは言い難い職場でした。
ですので、部署を移動したのは自分と家族の健康上、悪くない選択だったと思います。
そして、もっと早くから、実家の親や、シッターさん、家事手伝いのサービスを積極的にお願いするなどしておけば、こんなに周りとぶつかって消耗する前に、もっと余裕を持って対処できていたかもしれません。
ワーキングマザー生活の、波乱の幕開けでした。
これからはどんなキャリアになるのだろう。想像もできない思いでした。
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