【2歳、3歳】子どもに振り回されると感じたら

ウチの子は、自我が芽生え始めた1才後半から、いろいろな要求を表現し始めました。「この服が着たい」「外で遊びたい」などなど。要求すること自体は、子どもの成長として自然なことですよね。

けれど、どれだけ要求に応えても、応えても、どんどんエスカレートしていく要求。「ごめん、今できないんだ」と断れば、何十分も泣き叫ばれることも。出勤直前の急いでいる時に、私が困るような要求を突きつけて来ることもありました。

正直、疲れはててしまい、子どもを見るのも辛い時がありました。「こんなにがんばっているのに、なぜ」というのが、本心でした。

私を変えた『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て/須賀 義一 PHP研究所」』

私の脚を引っ張っていたのは、「子どもがやりたいことは、できるだけ叶えてあげたい」という考え。
子どものころ、ウチの両親は、私のやりたいこと、欲しいものを制限したり、禁止することが多かった。窮屈で自由がなくて、友達がうらやましかった。自分に子どもができたら子どもの言うことは、できるだけ聞いてあげようと、決意していたのでした。
けれど、目の前にいるのは、与えても与えても要求がエスカレートする子ども。

途方に暮れていた私にヒントをくれたのが、この本でした。

子どもが要求する → 大人がそれに応える  この形は実はあまり子どもの満足度は高くありません。  子どもは「大人のほうから」能動的に自分に感心を持ってもらったり、見てもらったりということを、本心から欲しています。


 

大人が受け入れにくいことを受け入れさせることで、自分を受け止めてもらっている実感を得ようという行動もあります。当然このような子どもの行動は、大人からすると困った姿、関わりにくい姿です。


 

子どもからすると、要求そのものを聞いて欲しいのではなくて「自分をかまって!」ということだったのでしょう。その気持ち、遥か昔に自分も経験した気がします。それでも、自分が親になると、なかなか難しいものですね。

もしかしたら、一緒に居てもうわの空で考え事していたり、はたまた心の奥に悩みを抱えていて、どこか楽しそうにしてなかったり、子供の眼にはそういう私が映っていて、一生懸命抗議しているのかもしれません。

「甘え」と「甘やかし」の簡単な見分け方ですが、大人も本心から気持ちよく受けられることならばそうそう「甘やかし」にはなりにくいですが、大人が「イヤイヤ」「無理して」「本当はさせたくない」などと思いながら子どもの要求に応えたり、与えてしまうことは「甘やかし」になってしまうでしょう。

本当はよくないのでしょうが、ぐずる子どもをなだめる為に、子供の要求に応えて来ました。
そういう要求に応えた自分も、子どもの事も、好きではありませんでした。
私の気持ちを察してか、子供はかまって欲しくてまた要求、そして、嫌々応じる私…
悪循環だったのですね。

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